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2019年12月18日。
東京は高島平、バルスタジオにて。

舞台「マリア The first Xmas of the last children」観劇

脚本:蛭田直美

演出:松本亮平

出演者
杉本陣(VOYZ BOY)

若林倫香

田辺留依
阿部大地
川村玲央

水萌みず

小林優太
樹亜美(劇団4ドル50セント)
柳平和毅

五阿弥ルナ
青木立華

吉原シュート

きのう、12月25日はクリスマスだった。
ハッピーバースデー、ミカ。そして……

大まかなあらすじ

この物語は父・カイと母・ミリがマリア(水萌みずさん)という女性型子守り用アンドロイドにひとりの男児を託すところから始まる。

彼の名はミカ(杉本陣さん)。

やがて彼は成長し、地下シェルターでロト(阿部大地さん)、ノア(小林優太さん)、テラ(柳平和毅さん)、シモン(吉原シュートさん)という仲間とともに男5人で過ごしている。

ミカは生まれたときから首にかけた鈴をいつも大切にしている。
その鈴は母がマリアに託すときに渡していたもの。

しかしその鈴はいつの日か鳴らなくなってしまい、マリアからそれに代わるものをもらう。
試しにそれを振ってみるが、鈴のような音色は出ない。

ある日、少年たちは最年少のミカが16歳のときにマリアが活動を停止するようにプログラミングされていることを知る。

マリアは「歌」というものを教えてもらえれば活動停止を止められる、と5人に伝える。

しかし5人は「歌」が何なのかを知らない。
書庫にある広辞苑で調べるも、該当するページは何者かに切り取られていた。

そこでマリアを救うべく、5人は外へ出ることを決意する。

やがて彼らはかつてかくれんぼしたときに倉庫の奥に扉があったことを思い出す。

もしかしたらその先が外とつながっているかもしれない。

そう思いながら探すと、扉を見つけた。
かつてマリアが開けてはならないと鍵をかけた場所。
しかし必死に開けようとするも、びくともしない。

その時ミカは自分がマリアからもらった鈴代わりのものの中に鍵が入っていたことを知る。
振ったときに鳴っていたのは鍵の音だったのだ。

まさかマリアが?
これまで扉に触れることさえ許さなかった彼女がなぜ?

鍵が合致してようやく扉は開いたものの、そこは外ではなく同じようなシェルターの風景。

そこでミカたちは同い年くらいの女性4人と出会う。

ルカ(田辺留依さん)、アンナ(若林倫香さん)、ヨナ(樹亜美さん)、エバ(青木立華さん)。

ルカはヒロイン。
アンナは知りたがり。
ヨナはサバサバした姉御肌。
エバは食いしん坊。

お互い同じ人間だが、声や体型の違いに気づいて驚く。

さらに男性型子守り用アンドロイド・ヨハネ(川村玲央さん)と出会う。
しかし、女性陣からはポンコツ呼ばわりされている始末。

これまで男女は別に隔離され、同じ地下シェルターで育てられてきたのだ。

男性陣にマリア。
女性陣にヨハネ。

あえて異性のアンドロイドを配置するあたり、うまい。

これまで空気汚染によって外に出ることは死ぬことだと思い込んでいた男性陣。
しかし、女性陣とヨハネからすでに外の空気は澄んでいて問題ないと知らされる。

そしてそこで新たな扉を見つける。
だが今度は35文字のパスワードを入れないといけない。

女性陣に話を聞くとこれまで何度も試したが、あと1回ミスをするとさらにロックがかかってしまうところまで来ていたのだ。

悩んでいたミカたちはマリアのある言葉を思い出す。

眠ること
食べること
見ること
聴くこと
触れること
感じること
話すこと
愛すること

それらをすべて英訳して足すと、35文字になる。

意を決して入力すると扉が……開いた!

初めて見る外の景色。
9人の男女は数日かけて、歩いたり星を見たりしてこれまでとは違う世界を味わう。

ある日、川のほとりで水を飲んでいるとミカたちは謎の人物から襲撃を受ける。
その正体は彼らと年齢の近い女性・エリ(五阿弥ルナさん)。

これまで男性5人に対して、女性が4人ではアンバランスだと思っていた謎がここで解ける。

エリはなぜか敵意をむき出しにしている。
どうやら魚や鳥を盗られると思ったらしい。

ミカたちはエバが持ってきた”マナ”と呼ばれる地下シェルターにある食糧でこの数日難なく乗り切っていた。
しかし、エリは自然の生物を食糧にしていた。

なぜか?

エリはマナが何で出来ているかをミカたちに告げる。

それは……人間だった。

正確には彼らを産んだ両親やシェルターにいた人たちがマナの製造機にその身を投じていったのだった。

冒頭のシーンでミカの両親が別れる際に見せた涙の理由も、それを見越しての演出だったのかと思うと鳥肌が立つ。

あまりにも残酷な真実にミカたちは絶望する。

だが彼らは両親とは何なのかを知らなかった。
そもそも、自分たちがどうやって生まれてきたのかを知らないのだ。
ルカひとりを除いては。

彼女だけは母親の存在を覚えていた。
ゆえにそのショックは計り知れなかった。
ルカは取り乱し、荒れに荒れる。

知りたがりな性格のアンナもまた、マナの成分を事前にヨハネから聞いていたためエリに口止めを求めるもバラされてしまい泣き崩れる。

しかし、自分たちが育っていくために命を懸けた大切な人たちからの愛なのだとミカたちは心に受け止めてマナを口にする。

生きるために命のあるものから命をもらうこと。
それは魚や鳥を殺して食べ、その命をもらうことと同じ。

実はエリもかつてシェルターで暮らしていたのだ。
が、マナになるのを拒んだ母親に連れられて外へと出ていた。

しかし安全な地下シェルターと違い、外は危険だった。
ある日、毒草を口にした母親が命を落とす。
それからはエリひとりきりで生きてきたのだ。

エリの過酷な境遇とこれまでの経緯を知ったミカたちは彼女を仲間に迎え入れる。

そのときエリは突然、大声で何やら叫び始める。
拍子と節をつけて。

それこそが「歌」だった。
エリはその「歌」を亡くなった母から覚えたという。

「歌」が禁止されたのには理由があった。
それはシェルター内で多量の酸素を必要とするため、人間たちは歌にまつわる資料を捨てて均衡を保とうをしたのだ。

早くしないとマリアが活動を停止してしまう!

急いでシェルターに帰還した10人の男女は歌う。
美しいハーモニーでマリアに向けて力いっぱい歌う。

気づいてみればミカたちにルカたちと会い、外へ出てエリと出会い、歌を知って戻ってくる一連の流れを仕組んだのはすべてマリアによるものだったのだ。

これにて一件落着と安心したも束の間、マリアは突如活動を停止してしまう。

日付は12月25日。
ミカが16歳の誕生日を迎えた瞬間。

何をどうやってもマリアは動かない。

ミカたちは嘆き悲しむが、マリアの死を受け止めそれぞれの信念で毎日を前向きに生きることを誓うのだった。

そして1年後のクリスマス。奇跡が起こる。
なんとルカが身ごもった。
その相手はミカ。

ふたりは知らぬ間に互いを想い合っていたのだ、それが恋心とは知らず。
やがてそれは愛になっていた。

そして翌年のクリスマス。再び奇跡が起こる。
ルカはひとりの子どもを産む。

ミカとルカはその子に「ノエル」と名付ける。

???「ノエル……」

そう言って、突然動き出したのは……マリア。

そう、彼女は子守り用アンドロイド。
新しい命を認識したために再起動したのだ。

こうして再びマリアは10人の男女(+ヨハネ)と幸せに暮らしていくのだった。
これから先、たとえどんな未来がこの世界に訪れたとしても。

終演後、脚本家の蛭田直美さんと念願の再会!

(撮影協力:エバ役の青木立華さん)

所属事務所 紹介ページ
公式twitter

プロの女優にして撮影のプロ・青木さん。
マナの正体がマシュマロだとこっそり教えてくださったのはここだけの話(笑)

さて、ここからが本題。

コンプライアンスがどうのこうのと言われる現代。
世の中はどんどん自粛へと向かってしまい、知らなきゃいけないことも知ることができなくなっている。

なので、知りたがりなアンナというキャラが出てくるのは単なる偶然か?と深読みしてしまった。

蛭田さんの作品は世の中の暗部を包み隠さずに観る者へ訴えかけてくる。
それは脚本を担当された映画「五億円のじんせい」でも如実に表れている。

かつて難病だったものの5億円の募金によって命を救われた少年・望来が、その募金に見合った生き方を模索していく物語。

自らの一生をかけて5億円分働いて稼ごうとするために最初は工事現場で肉体労働をしていたが、やがて裏の危ない仕事に関わっていくことになる。

童貞を熟年女性に捧げたり、詐欺の片棒を担ぎそうになるも葛藤の末にそれを止めようとしたため殺されかけたりと波乱万丈だ。

蛭田さんの作品の根底にあるテーマは、生(性)と死なのではないかと思う。

本作のクライマックスのシーン。
マリアが機能を停止する直前に、ミカたちにふたつの選択肢を迫る。

このまま安楽死するか、滅びると決まった世界のなかで苦しみながらも最後のひとりになるまで生きていくか。

このセリフがすごい。

去年の今頃、蛭田さんは自身を追い込んでいたと語っていた。
その思いがこのセリフにすべて詰まっているんだと気づいた。

現実はシビアである。
今は幸い平和な時代だが、それでも人生は決して楽ではない。
清濁併せ吞むことも求められるのだ。

テーマが深い分、きっと蛭田さんが言語化できないくらい様々なご経験をされてきたのだなと感じた。

さらに印象に残ったのは、男性陣が女性陣を気遣うシーン。

男性が思春期を過ぎると女性を意識し、興味を持つのは自然なこと。
ゆえに下心が芽生え、本能で見返りを求めてしまうものだ。

しかし、主人公たちは男女別に隔離され育てられている。
ゆえに異性のことも、男性と女性が恋愛をすることも、セックスで子どもを作ることもまったく知らない。

ミカは、夜空を見上げて寒そうにしているルカに自分の上着をかけてあげる。
ロトは、マナの正体を知って泣いているルカやアンナを慰めたのちにマナの製造機をぶっ壊す!と叫ぶ。

これこそ男性本来の役割。
とっても素敵なのだ。

どうしてこんなにも素敵な男性が描けるのか。

今回の舞台を通じて、「自分も絶対こういう素敵な男になる!」と誓った。

余談だが、座席に本公演特製のポケットティッシュが用意されていた。
12月の寒い夜だから鼻水対策用かと思っていた。
だが終演後に「涙腺崩壊したときに使って」ということだったと気づく。

その証拠に会場内のあちらこちらですすり泣く声が聞こえた。
そして終演後は拍手が鳴りやまず、キャストがアンコールで再び出てきてくれる粋な計らいもあって感動した。

キャストについて

個人的に心に残った役者さんがおふたり。

五阿弥ルナさん
後半にキーパーソンとして登場するエリ。
本編で最もつらい思いをしてきた立場のキャラだけに、表情のひとつひとつにそのすべてが表現されていた。
演技のすごさはもちろんのこと、歌唱力にも驚いた。
本公演では挿入歌作詞・編曲・歌唱指導もされている。
調べてみるとアニメ「おそ松さん」の劇伴歌を担当されていたとこのこと。
サントラを聴いていたので、まさかこの方の声だとは思わなかった。

川村玲央さん
ヨハネ、すごい!
わりと重めな本作のコメディリリーフとして大活躍。
親代わりにこれまで育ててきた女性陣からポンコツ扱いされる始末。
これって女子高生の娘に避けられる父親みたいで妙にリアル。
さらに女性陣の前にマリアが登場してからは、スルーされてしまうというかわいそうな役回り。
でも、おもしろい。

実はこのおふたり、冒頭でミカの両親を演じられていた。
ミカとの別れ、このふたりだからこそと思った。

最後に。
クライマックスで動かなくなったマリアに向けてキャスト全員が心の声を叫ぶシーンで、心から涙を流していたあの全員の表情を忘れることができない。

ポスターに仕掛けられた謎

まず、後ろの右上に35文字のパスワードがある。
SLEEP EAT LOOK LISTEN TOUCH FEEL TALK LOVE
外へ向かうためのドアを開けるキーワードだ。

その下にはHappy Birthday Noelの文字。
これは、ミカとルカの子へのメッセージ。

真ん中のミカとルカは夫婦であるという暗示。

この通り、とても奥が深いポスターだ。
なので、もっと深く調べることにした。

➀ろうそくの本数
テーブルの上にあるろうそく。
数えてみると17本。

いちばん手前のロトが持っているろうそくが1本。

17+1=18

16歳になったときマリアが停止。
その1年後、ルカが身ごもっている。
それから1年して誕生したノエルを認識したマリアが再起動。

この時点でミカが18歳で、ノエルは0歳。
(※間違ってたらすいません)

しかし、ろうそくの火は命の灯。
ひとつの命がこの世に現れたと解釈した。

さらにロトが序盤でミカの鈴をいたずらで奪っている行動を考えるに、このポーズはとてもよくできていて感動した。

なお、余談だがテーブルの上にあるケーキ?のようなものに乗っかっているのは、終盤でエリが語っているときに持っていたアクセサリーによく似ている。

➁視線の先にあるもの
このポスター、キャストの視線が全員こちらを向いている。
視線の先にいるのは?
そう、これはノエルの視点から見た風景なのだ。
その証拠にミカはこちらに手を伸ばしている。

➂窓の外に見えるもの
本作品は地下シェルターの物語だ。
が、このポスターでは外の様子が見えている。
外のパイプは空気をろ過するものだろうか?
時間帯は昼頃なので明るい。
荒廃はしているが、希望を表していると見た。

以上が自分なりに分析したポスターの謎である。

舞台へ行くまでの経緯

ここからは僕がこの舞台へ行くまでの流れを、そしてこのブログを書くまでのプロローグである。

はじまりは一冊の本だった。
月刊シナリオ2019年8月号。

そこに映画「五億円のじんせい」の脚本が掲載されていた。

NEW CINEMA PROJECT第一回グランプリ作品として映像化された作品だ。

その脚本を担当した女性の名前に見覚えがあった。

蛭田直美さん。

あれは6年前。
僕をこの世界に引き入れてくださった人生の恩人、かつて所属していた作家チームの主宰をしている先輩ライターが蛭田さんを紹介してくれたのだ。

当時通っていた表参道のシナリオスクールが発行していた専門誌・シナリオ教室に蛭田さんが紹介されていてお会いした時は「すごい!本人が目の前に!」と驚いたのは懐かしい思い出だ。

その後、蛭田さんがドラマや映画や単行本の構成など多方面でご活躍されているのを知りながらもなかなかお会いする機会がなかった。

こちらはこちらで作家としてこれから向かっていく方向性に悩み日々迷走し、落ち込みに落ち込んでいてそれどころではなかったのだ。

そして今年。
ようやく長い冬の深い霧を抜け始め、ようやくなんとか前へ進めると思えた矢先の出来事。
大型書店のラック、月刊シナリオ8月号が目の前にあった。

大物ライターの生の台本を見られる機会は少ない。
貴重な書きグセを読めるまたとないチャンスが巡ってきたとゾクゾクし、書店の売り場でひとり舞い上がっていた。

これは何かのきっかけかもしれない。
ホンを読んでいくうちにある感情が芽生えた。

お会いしたい!作家としてもっと刺激を受けたい!

熱い感情が体の中を駆け巡った。

しかし、僕に知名度は無い。
そもそも会って下さるだろうか?

さて、どうしよう?

そこで閃いた。

「そうだ、舞台を観に行こう!」

舞台の良さは、そこに新鮮さがあるから。
役者の実力を客席から間近で感じられるのだ。
この悦びは天にも昇るほど。

地上波や邦画は見慣れた顔が多すぎて、どうしても先入観が出来てしまう。
だが、舞台にはそれがない。

前はこういう役だったのに、今回はこう来たか!
という驚きと感動がある。
役者たちが新たな一面をたくさん見せてくれるので、先入観を持たずスッと心に入ってくる。
ものすごいオーラを放つ実力者がたくさんいる。

そこにプロの脚本家が書くホンときた。
これ以上の安心感と安定感があるだろうか。

素敵な舞台に心から感謝して、蛭田さんの次回作を楽しみに待つことにした。

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