10人のトレモロ・アルペジオ 第3楽章 久石弦一
〇弦一の家・ガレージ(夜)
バリバリでガンガンなエレキ音。
華麗なる手さばきでエレキギターをかき鳴らす大柄な男。
久石弦一(36)だ。
YES「Owner of a Lonely Heart」
豪快なるリフさばき。
一見、迫力があるように見えるのだが……
よく見ると演奏音は弦一が耳にしているイヤホンから漏れ出たプロのミュージシャンによるもの。
実際の演奏は蚊の鳴くようなエレキ弦の小さな音。
エレキギターのコードはアンプに繋がっていない。
弦一の声「演奏音は近所迷惑になるからアンプには繋げてない。独身の時は高価なギターも買ってガンガン弾いていたが家族のこれからのために泣く泣く手放した」
肩身の狭い弦一、ためいきひとつ。
窓の中に弦一の妻と子が見える。
弦一「(ボソッと)防音ルームも作っときゃよかったかな」
弦一の声「トレモロ、それはおもにマンドリンなどの弦楽器における奏法のひとつ。同一音の急速度な反復。ふるえるように聞こえる。震音」
〇弦一の勤める銀行
弦一の顔は張り切りすぎている。
支店長の金森がやってきて、
金森「だいぶ肩に力が入ってるぞ」
弦一「すいません」
金森「こっちへ異動してきたばかりで気持ちはわかるけどあまり無理すんなよ」
弦一「ありがとうございます」
金森「それとその爪……」
弦一、右手の親指だけ伸びた爪を見る。
金森「前から気になってたけど、それ何かのゲン担ぎか?」
弦一「まあそんなところです」
金森「業績優秀、出世街道まっしぐらってか」
弦一「はい」
大笑いで去っていく金森。
弦一、ため息ひとつ。
弦一の声「アルペジオ、それはおもにギターなどの弦楽器における奏法のひとつ。和音を構成する音を一音ずつ低いものから(または、高いものから)順番に弾いていくことで、リズム感や深みを演出する演奏方法」
〇楽器店(夜)
試奏室でエレキもアコースティックギターも弾きこなす弦一、日常から解放されてノッている。
店員「きょうもノリノリだね」
弦一「働いてるといろいろありますから。敷かれるのは嫁の尻だけでいいのに。あ、言っちゃった」
店員「ストレスたまってんならグワングワンひずませちまえ! ファズってもワウってもいいから」
弦一「いつも弾くだけですいません」
店員「気にすんなって」
弦一、店頭に飾られているクラシックギターが目に入る。
店員「その子も弾いてみるか?」
弦一「いえ、俺はもっぱらエレキ派なんで」
弦一、エレキの弦を選んでいる。
短髪の女性店員と目が合う。
荒井真弓(36)だ。
弦一「(ボソッと) 部長?」
真弓「(ハッとして) !!」
真弓がそそくさと事務所へ引っ込んでしまう。
弦一の声「きっと誰の人生にもトレモロのように心が震える瞬間も、アルペジオのように心が上下する瞬間もあるはず。もしエレキ好きの俺に例えるなら、まるでエフェクターでグワングワンと音を歪ませてるようなカンジだ」
首を傾げる弦一、モヤモヤしたまま出口へ。
〇タイトル
「10人のトレモロ・アルペジオ」
〇弦一の勤める銀行
弦一が行内を眺めていると、見慣れた男がやってくる。
古内奏太郎(36)だ。
弦一「あれ?」
奏太郎「久しぶり」
弦一「なんでここが……」
奏太郎、スマホのメッセージアプリを見せる。
『千住琴恵』とのやり取り。
弦一「琴ちゃんも人が悪いな。で、何の用だい? ボクちゃん」
奏太郎「その呼び方、ぜんぜん変わってない」
弦一の声「創部以来ずっと女子部員だけだったギター・マンドリン部の歴史に初の男子部員として入ったのが俺とこいつだった。チビで童顔な見た目、世間知らずな性格から彼のことをよくボクちゃんもしくはムッツリ野郎と呼んでた」
弦一「ムッツリなところも相変わらずだ」
奏太郎「もうチェリーじゃないよ。昔よりだいぶ上も下もオープンになったから」
弦一「あのな、まだ昼前だぞ。さっさと本題に入ってくれ」
奏太郎「定演で千住さんに会った」
弦一「だから?」
奏太郎「崎谷先生が来年定年なんだ」
弦一「早く結論を言え」
奏太郎「またみんなで集まらないか?」
弦一「…………」
奏太郎「あれから20年だろ、大人になって社会に出て酸いも甘いも知ってふっと昔が恋しくなることあるだろ? だから良い機会だしここらで一度―」
弦一「断る」
奏太郎「そこをなんとか。男子ひとりだけじゃ心細いし」
弦一「んなみじめなこと言ってんじゃねえよ」
奏太郎「チョーキングもハンマリングも教えてくれたろ?」
弦一「ギターの奏法といったい何の関係がある?!」
奏太郎「セーハもハーモニクスも教えてくれたろ?」
弦一「こっちは仕事なんだ」
奏太郎「休める日に合わせるから」
弦一「出来ない相談だ」
奏太郎「この窓口じゃダメなのか?」
弦一が奏太郎にひそひそ話。
弦一「行内に特別プロジェクトチームが発足して、それに選ばれるかもしれない」
奏太郎「だから集まれないと?」
弦一「仕事はキツイが給料はいい」
奏太郎「だからそれに出たいと」
弦一「一家の長としてプライドがある」
ATMコーナーで客が万札を数えている。
弦一「ピックで弦を弾いてたのが今じゃ札束数えてる」
奏太郎「…………」
弦一「まさか手首のスナップがここで活かされるだなんて実に皮肉だよ」
奏太郎が時計を見て、
奏太郎「あ、もうすぐ昼だ。なあ、たまにはおごらせて」
弦一「断る」
奏太郎「いいからいいから」
弦一「残念だけど先約がいる」
〇同・外
弦一が買い物袋をチラリ。
中身はコンビニ弁当だ。
奏太郎「先約ってそれ?」
弦一「何か文句でも?」
奏太郎「愛しの愛妻弁当ちゃんじゃないのか」
弦一「とっくに卒業してる」
奏太郎「レンジであっためないとホントに夫婦仲冷え切っちゃうぞ?」
弦一「独身のボクちゃんに言われたくない」
奏太郎「なんでわかる?」
弦一「人の顔を見ればだいたいのことはわかる。それが接客という仕事だ」
歩くふたりの近くを通る車。
運転しているのは千住琴恵(36)だ。
琴恵はふたりの存在に気づく。
〇銀行近くの蕎麦屋
座敷の席、向かい合っている弦一と奏太郎。
弦一、かけそばを一口。
奏太郎は天ぷらそばだ。
奏太郎「まだ外はあったかいのにわざわざ熱いもの頼むなんて」
弦一「初心を忘れないためだ」
奏太郎「え?」
弦一「そんな天ぷらなんて豪華なもの頼んだらいつしか当たり前になって態度がデカくなっちまう」
奏太郎「これは自分へのたまのごほうびだっての。一応人並みの給料もらってるし、手取りの中でやりくりしてる」
弦一「とにかく仕事に力を入れないと」
奏太郎「仕事を頑張るのはわかる。でもさ、いくら一家の長だからってムリしたら奥さんと子どもに迷惑かけちゃうだろ?」
弦一の箸がピタッと止まる。
弦一「その逆だ」
奏太郎「え?」
弦一「嫁は……俺よりも稼いでる」
奏太郎「はあ?」
奏太郎が驚きを隠せない。
〇ケータリング車
弦一の妻・若葉がアイスなどを売っている。
若者たちの行列ができている。
弦一の声「スイーツで大成功してな」
〇もとの蕎麦屋
奏太郎「まさか特別プロジェクトに入りたいってのも」
弦一「稼ぎが良くなれば少しは父親らしくいられると思ったから」
奏太郎「おいおい。カラダ壊すぞ」
弦一「嫁と結婚したとき俺は家を買うために高いギターを売ってローンに充てたりした。まさかその後、俺より稼ぎだすなんて思いもせず」
奏太郎「主夫になるって手もあるぞ」
弦一「は?」
奏太郎「なんなら婿入り主夫やってる人のブログ紹介しようか?たしか、家事のハジメっていって―」
弦一「ふざけるな」
奏太郎「あくまで方法をひとつ提案しただけだろ」
弦一「ムッツリ野郎にはプライドがないのか?」
奏太郎「まだ結婚してないからな」
弦一「男ってはな、守る者が出来ると変わるんだ。この人だと思った女性やその女性が産んでくれた新しい命に触れると頑張りたくなるモンなんだよ」
物陰から琴恵がふたりの会話を聞いている。
〇琴恵の家・第2楽章でのシーン
やつれた夫・重春の姿。
床に落ちた精神安定剤の袋。
重春「夫として、一家の主として、オレはお前と舞を支えると結婚するとき決めたんだ」
去っていく重春。
〇もとの蕎麦屋
琴恵「…………」
奏太郎「だからって稼ぎで張り合ってる場合か? 父親らしいところ見せたいがためにそんな無理して仕事することないって。話しあえばいいじゃん」
弦一「独身貴族とは違うんだよ」
奏太郎「なんかすっかり枯れたな」
弦一「は?」
奏太郎「あの頃のお前は輝いてた。覚えてるか? 定演でギターのソロパート任されてルンルン気分で弾いてたじゃんか。たしかあれはビートルズメドレーで―」
弦一「その記憶力、他で使え」
奏太郎「もし心の底にモヤモヤしてるもんがあるなら、ムリに隠さないほうがいい」
弦一「…………」
奏太郎「自分と向き合って、相手と向き合って思ってることぶつければいい」
弦一「…………」
奏太郎「なんて言えること、オレはまだ出来てないけど」
背後で物音。
琴恵がお店を後にする。
琴恵の後ろ姿を見る奏太郎と弦一。
奏太郎「おい、あの後ろ姿」
弦一「まさか。違うだろ」
奏太郎「あ、オレも仕事に戻んないと」
弦一「休みじゃないのか?」
奏太郎「外回りの特権」
弦一「ったくボクちゃんは悪い子だな」
奏太郎「へへへ」
奏太郎が行こうとして、
弦一「なあ」
奏太郎「ん?」
弦一「今回の集まり、お前が発起人だろ?」
奏太郎「まあね。実現するかまだわからないけど」
弦一「先生の定年だけがきっかけか?」
奏太郎「…………」
弦一「もしかしてお前の心の底のモヤモヤって、早坂の―」
奏太郎「お先」
奏太郎が行ってしまう。
〇弦一の家・リビング(夜)
弦一が帰って来る。
妻の若葉はレシピを考えている。
弦一「ただいま」
若葉「おかえり、今夕飯用意するね」
弦一、テーブル上のスケッチブックを見る。
弦一「カラフルだな」
若葉「次に出すメニューよ」
弦一、リビングの隅にある何かに気づく。
エレキギター。
それは冒頭のシーンで弾いていたもの。
弦一「それ、どうして―」
若葉「物置を掃除してたら見つけた」
弦一「中学の時、貯金して買ったんだ。なかなか捨てられなくて」
若葉「でもホコリはかぶってない」
弦一「…………」
若葉「知ってるよ、夜中にいつもガレージで弾いてること」
弦一「え?」
若葉「ここで弾いて見せて」
弦一「今? いや、近所迷惑になるから」
若葉「仕事に行くときと帰って来るときと、休日に子どもと遊ぶあなたしか見たことない」
弦一「…………」
若葉「付き合ってたときもわたしに合わせてくれるばかりで、自分のことはいつも後回しだったじゃない」
弦一がギターを構える。
試しにワンフレーズだけ奏でる。
若葉「今のあなた、すっごい輝いてる」
弦一「ロックが好きだった。親父が趣味で洋楽のレコードを集めてて、それを聴いたのがきっかけだった」
若葉「…………」
弦一「でも将来ミュージシャンになって売れようなんてこれっぽっちも思わなかった。バンドも組まず、ただひとり黙々と弾くことが好きだったんだ。ただ極めたい一心で弾き方を研究した。誰に見せるでもなく、自分が自分であると実感するためだけに」
若葉「…………」
弦一「中学のころ、ギターマンドリン部があることを知った。てっきり吹奏楽しかないと思ってたから」
若葉「その顔、よっぽど思い入れがあったんだね」
弦一、ギターをなでる。
キッチンの若葉がうつむいていて、
若葉「わたしも料理を売ろうなんて思わなかった」
弦一「え?」
若葉「ただ料理が好きだったから。ママ友に食べてもらったら、店を出したら?ってアドバイスされてそれで―」
弦一がうつむく。
弦一「なあ、若葉」
若葉「うん?」
〇同・外(夜)
窓越しに見える弦一と若葉。
言葉は聞こえない。
が、お互いの気持ちを言い合っている。
〇楽器店(別の日の夜)
真弓が働いている。
弦一の声「やっぱりそうだ」
真弓「!」
目の前にいるのは弦一。
弦一「久しぶり、部長」
真弓「…………」
<第4楽章 荒井真弓につづく>
このシナリオはフィクションです。
実在の人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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