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〇レコーディングスタジオ
流行の歌手が歌っている。

イヤホンで細かい指示をする女性。
ミキサーの服部優歌(36)である。

録音ディレクターの律矢卓(45)、険しい顔をしている。

律矢の声「(先行して)俺のやり方に口出しするなと言ってるだろ」

〇同・オフィス
険悪な雰囲気に包まれている。

優歌「しかし、良い演奏には良い歌声を組み合わせて良いものにすべきです」
律矢「お前はただのミキサーなんだぞ? 歌のセンセイじゃないんだ。録音ディレクターはこの俺だ。このスタジオの経営者もこの俺だ」
優歌「ですが聞く人の耳に素敵なバランスで楽曲を届けるのが我々の仕事でしょう?」
律矢「ウチみたいな弱小スタジオでも大手事務所の音楽プロデューサーから依頼が来てるおかげで何とかもってるんだ。歌声なんてパソコンでちゃちゃっと編集すればいい」
優歌「つまり売れるならいい加減なものでもいいってことですか?」
律矢「この世には妥協も必要なんだ。こだわりだけで世界は回らない。大人ならわかれ」
優歌「納得いきません」

律矢のスマホが鳴る。

律矢「もういい、今度やったら確実にクビだからな! 代わりはどこにでもいるんだ」
優歌「…………」

律矢が電話の相手にヘコヘコしている。
尻目に優歌は虚ろな顔だ。

優歌の声「昭和から平成そして令和、時代の移り変わりとともに肝心な物事の本質が何なのかわからなくなってきていると感じるのは私だけだろうか?」

優歌「休憩行ってきます」

優歌、そそくさと出て行く。

〇街
優歌がMP3プレイヤーを取り出し、再生ボタンを押す。

キリンジ エイリアンズ

優歌「トレモロそれはそれはおもにマンドリンなどの弦楽器における奏法のひとつ。同一音の急速度な反復。ふるえるように聞こえる。震音」

モニター画面に映し出される女性。
神楽詩乃のマンドリンコンサートのチケット情報にまつわるテロップ。

優歌「アルペジオそれはそれはおもにギターなどの弦楽器における奏法のひとつ。和音を構成する音を一音ずつ低いものから(または、高いものから)順番に弾いていくことで、リズム感や深みを演出する演奏方法」

優歌、モニター画面を目にして思わずイヤホンを外す。

優歌「きっと誰の人生にもトレモロのように心が震える瞬間も、アルペジオのように心が上下する瞬間もあるはず」

優歌、詩乃の奏でるマンドリンの音色を聴いている。

優歌「神楽詩乃ってたしか―」

〇タイトル
「10人のトレモロ・アルペジオ」

〇同・オフィス
第4楽章ラストシーンの続き。
パソコンをネットサーフィンしている優歌。
神楽詩乃のコンサートについての記事。

〇優歌の住むアパート
優歌、ラックの中からCDを取り出す。
『Shino-Mayu』。
ジャケットには若き日の荒井真弓と神楽詩乃が写っている。

優歌「…………」

〇コンサートホール
第4楽章のシーンより。
ボーイッシュな荒井真弓(36)がお嬢様のような神楽詩乃(36)と別れた直後。
物陰から優歌が一部始終を見ていた。

優歌「久しぶり、部長」
真弓「……優歌?」
優歌「ここに来るような気がして」
真弓「副部長こそどうしてここに?」
優歌「詩乃さんのアルバム、実はウチのスタジオで収録してるの」
真弓「…………」
優歌「でも彼女の音色は澄んでない」
真弓「え?」
優歌「音色にはその人の心の色が出る。私のこのふたつの耳がそう言ってるから間違いない」
真弓「当時から耳良かったもんね」
優歌「でも演奏のほうはそこまでだったけど」
真弓「そんなことないよ」
優歌「それより、実力なら詩乃さんより真弓のほうが断然上なのに」
真弓「とどのつまりルックスでしょ。世間じゃ見栄えの良いほうが注目されるから。芋娘みたいなアタシじゃ、お嬢様の詩乃なんかに敵うはずない」
優歌「…………」
真弓「ねえ、なんで黙るのよ」
優歌「あ、ごめん」

〇スタジオ
調整室の中。
たくさんの機材が並んでいる。

真弓が驚いている。
優歌は得意気な顔。

真弓「すっごい、これぜんぶ操作してるの?」
優歌「まあね」
真弓「ほかのスタッフさんは?」
優歌「上司ならお偉いクライアントさんから呼出されててしばらく来ないみたい」
真弓「そっか」

と、突然スピーカーから流れてくる懐かしい音色。
優歌が音楽を再生したのだ。

真弓「この曲!」

ヴェルキの序曲だ。

優歌、真弓にCDのジャケットを見せる。
『第21回××中学校ギターマンドリン部定期演奏会』。

優歌「私たちの思い出の1枚」
真弓「まさかCDになるなんて思わなかった」
優歌「父さんが記念にって。本職じゃないのに、趣味で徹夜してミキサーみたいなことやってて」
真弓「本職じゃないのに業者を越えたクオリティ」
優歌「こだわりがあるわりに器用貧乏なのが玉に瑕だけど、そんな父の趣味に影響されて今の自分がここにいる」
真弓「父の背中を見たってワケね」

しばらく音楽を聴いているふたり。

真弓「ここ、後輩が1テンポ早く演奏しちゃってドキッとした」
優歌「そうそう!」
真弓「それとダイヤモンドヘッドにスパニッシュコーヒー」
優歌「楽器をクルッて回して」
真弓「ときたま譜面台に楽器ぶつけて」
優歌「あったね、そんなこと」
真弓「崎谷先生が3年生紹介するのこの曲だけ部員が指揮してた」
優歌「えっと、誰だっけ?!」
真弓「マンドセロの千住さん」
優歌「琴恵ちゃん! なつかしい。元気にしてるかな」
真弓「娘さんがギタマン部なんだって」
優歌「社会に出て仕事バリバリしてそうなイメージだったけど」
真弓「ママ一番乗りとは、ね」

と、優歌がマンドリンを持ってくる。

優歌「ねえ、演奏してみて」
真弓「え?」
優歌「ヴェルキの序曲」
真弓「いきなり?」
優歌「部長の演奏、聴きたくなった」

そのほかにギター、マンドラ、マンドセロ、コントラバスまですべてある。

真弓「じゃあ優歌もマンドラ弾いてよ」
優歌「副部長の役目は縁の下の力持ちだから」

優歌が録音機材をセッティングし、トークバックで真弓に指示を出す。

優歌「じゃあ、始めて」

真弓が演奏を始める。
優歌、音色に酔いしれる。

と、真弓が演奏を止める。

優歌「どうしたの?」
真弓「マンドラもあるよ」

※マンドラとは?
マンドリン属の弦楽器で、マンドリンよりも一回り大きい。
音色は豊かで丸みを帯びたものであり、音域は人間の声域に大体相当する。
引用元:amazon

優歌「私はいいよ。ヘタだし」
真弓「アタシのこのふたつの耳はそんなこと気にしない」
優歌「……部長」

優歌、調整室から録音室へ。

束の間のセッション。

〇路上(夜)
歩いている優歌と真弓。
たとえば駅前にある大型モニター。
大々的に宣伝されている歌やドラマ。

優歌「最近は良いものが少なくなった気がする」
真弓「いつの時代もそう、良いものはたいてい流行りものの影に埋もれて消える運命だから」
優歌「でもこうも思うの、自分たちの考えのほうがひねくれてるんじゃないか。周りのほうが合っているんじゃないかって」
真弓「…………」
優歌「私指示は出来るけど、演奏はそこまでだったから」
真弓「…………」
優歌「ねえ、もう一度有名になる気、ない?」
真弓「どしたのいきなり」
優歌「真弓のマンドリンなら、詩乃さんの音色を越えられる。縁の下の力持ちの私が言うんだから間違いなし」
真弓「まさかさっきそのためにソロで録音を?」
優歌「ごめん。ホントのこと言ったら部長、きっと遠慮すると思って」
真弓「…………」
優歌「その代わり、ひとつお願いがあるの」
真弓「なに?」
優歌「部活のみんなで集まるためにいっしょに手伝ってほしい」
真弓「またその話? 優歌も古内のヤツから聞かされたか」
優歌「古内くんってギターパートの?」
真弓「そうだけど。え、違うの?」
優歌「私はコントラバスの譜沙代からよ」
真弓「小室さんが? でも、べつに集まるのは今じゃなくても」
優歌「今じゃなきゃダメなの」
真弓「どういうこと?」
優歌「実はね…………」

〇××中学校・職員室
背が高く大柄な女性教師、プリント用紙を観ている。
小室譜沙代(36)だ。

譜沙代「…………」

『××文化会館、改築工事決定』。

譜沙代、渡り廊下からギターマンドリン部があるプレハブ小屋を見つめていて―

<第6楽章 小室譜沙代につづく>

◇前回までのシナリオ◇




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