10人のトレモロ・アルペジオ 第1楽章 古内奏太郎
〇市民会館・小ホール
開演のブザーが鳴り響く。
暗がりの中、中学生たちがやってきて着席。
ライトアップされた指揮者の顧問が登壇。
奏太郎の声「トレモロ、それはおもにマンドリンなどの弦楽器における奏法のひとつ。同一音の急速度な反復。ふるえるように聞こえる。震音」
ステージ上が明るくなり、生徒たちが楽器を構える。
指揮者がタクトを振り始める。
一斉に演奏が始まる。
奏太郎の声「アルペジオ、それはおもにギターなどの弦楽器における奏法のひとつ。和音を構成する音を一音ずつ低いものから(または、高いものから)順番に弾いていくことで、リズム感や深みを演出する演奏方法」
マンドリンのトレモロ。
ギターのアルペジオ。
奏太郎の声「きっと誰の人生にもトレモロのように心が震える瞬間も、アルペジオのように心が上下する瞬間もあるはずだ」
〇奏太郎の運転する車(夕)
目の前、車の往来が激しい大通りに合流するT字路。
一時停止ラインの先からなかなか曲がれない車が後ろに渋滞を作っている。
その渋滞に巻き込まれている奏太郎の車。
運転席の古内奏太郎(36)はミラーレンズのサングラスをしている。
ちょうど左に細い裏道があるのに気づき、ハンドルを切る。
奏太郎の声「シナリオのコンクール審査で落とされやすいネタ、幽霊・任侠・バンドもの。理由はキャラの造形や題材がありきたりになりやすいから」
次の角を右折する奏太郎の車。
ふと、視線に入って来る一軒家の玄関先。
どこにでもある親子の光景。
奏太郎、思わず二度見をする。
奏太郎の声「最近の邦画にありがちなもの、流行のタレントによる青春胸キュンラブストーリー。これでもかというくらい原作ネタが尽きずにどんどん公開される、七不思議のひとつ」
どこか面影のある大人の女性。
早坂美音(36)が幼い娘と一緒に遊んでいる。
刹那、美音が車のほうへ視線を向ける。
サングラスのミラーは夕日を映し、奏太郎の目を隠した。
ドキッとして視線を前へ戻す奏太郎。
何処吹く風を装うように通過していく車。
が、裏腹にざわめきたじろぐ奏太郎―
奏太郎の声「なぜ突然そんな脈絡のないことを言ったのかというと、この物語はまるでバンドのようなものと青春をかけ合わせたありきたりな何かが根底にあるからだ」
〇タイトル
「10人のトレモロ・アルペジオ」
〇一軒家・リビング
短髪にスーツ姿の奏太郎、服も顔つきもキリっとしている。
ネームプレートには電子機器メーカーと奏太郎のフルネーム。
現場に不慣れな後輩社員に代わり、先輩の奏太郎が住人に慣れた口調でセールストークしている。
奏太郎「あ、ご案内した製品につきましてはご検討して頂いて構いません。むしろたくさん迷われたほうが、お客様にとって本当に必要かご判断頂けますので。ところで……」
チラッと視線に入るポスター。
『××中学校ギターマンドリン部 第××回定期演奏会』。
奏太郎「あのポスターなんですが―」
〇市民会館・外観
テロップ「数日後」
奏太郎が見上げている。
そして深呼吸をひとつ。
〇同・小ホール出入口
看板には例のポスター。
デザインTシャツ姿の保護者たち。
奏太郎、プログラムを受け取る。
あまりの懐かしさに頬が緩む。
琴恵の声「古内くん?」
奏太郎が振り返る。
目の前に千住琴恵(36)。
奏太郎「千住さん?!」
琴恵「やっぱりそうだ。かなり雰囲気変わったね」
奏太郎「え、どうしてここに?」
琴恵、周囲の保護者と同じデザインTシャツである。
奏太郎「ウソ?!お子さん何年生?」
琴恵「今年入ったばかり」
奏太郎「ってことはパートはマンドセロだったりして」
琴恵「ううん、マンドリン」
奏太郎「そこは継がなかったのか」
〇テロップ
「マンドセロとは正式名・マンドロンチェロであり、マンドリン属の楽器でオーケストラの際は低音域を担当。マンドセロはおもに日本での呼び名である」
〇もとのホール出入口
奏太郎、プログラムに載っている部員リストに目を通す。
琴恵の娘の姓は千住。
奏太郎「ってことは」
琴恵「そういうこと」
奏太郎「深く聞かないよ」
琴恵「ありがとう。でも大丈夫、まだ籍は抜いてないんだ」
奏太郎「え?」
琴恵「夫婦はいろいろあるのよ」
と、琴恵が奏太郎の首に手を回す。
ドキッとする奏太郎、シャツの襟元を直したのだ。
奏太郎「ありがとう」
琴恵「36でしょ?しっかりしてよ、坊っちゃん」
奏太郎「懐かしいな、演奏会の本番前にこうやって襟のあたりを直してもらったっけ」
琴恵「よく覚えてるね」
奏太郎「そりゃあ、まあ。あの時はマジでビックリしたから」
琴恵「さっきもビックリしてたけど」
ムスッとする奏太郎。
琴恵がニヤリ。
先行して響く拍手の音。
〇同・小ホール・中
暗がりの舞台。
顧問である指揮者がライトに照らされながら檀上へ。
中学生たちが席についている。
明るくなる舞台。
指揮者がタクトを振り上げる。
生徒たちが楽器を構える。
奏でられるメロディライン。
カッと見開かれる奏太郎の目。
思わずプログラムを見てしまう。
途中、ソロパートを奏でるマンドリンパートの女子中学生。
奏太郎はその生徒の顔が美音に見えてくる。
琴恵も演奏に酔いしれている。
終演後、奏太郎が琴恵のもとへ。
奏太郎「なあ、さっきの曲って」
琴恵「そう、序曲よ」
奏太郎「プログラムに載ってるのは原題のほうだったから気づかなかった。いやあ、めっちゃ懐かしいな!」
琴恵「賞取ったよね、先輩たちと」
奏太郎「代々引き継がれる伝統の曲」
琴恵「崎谷先生の顔を思い出すわ」
奏太郎が意を決したように、
奏太郎「実はそのことなんだけど」
琴恵「先生がどうかしたの?」
奏太郎「実は先生、来年定年なんだ」
琴恵「え?」
奏太郎「たまたま仕事先が先生の知り合いでさ。それで、考えたんだけど俺たちの代が集まって先生の指揮で序曲を演奏するってのはどうかなと思って」
琴恵「いいね」
奏太郎「でももう20年経ってるし、また一から練習しないとだな」
奏太郎がギターを弾くように指先を動かすジェスチャー。
琴恵「ってことはあのソロパートを弾く子も必要になるってことね」
〇フラッシュ
現在の美音が幼い娘と遊んでいる冒頭のシーン。
〇もとの小ホール・中
奏太郎がうつむく。
琴恵「美音ちゃんのこと、まだ引きずってるんだね」
奏太郎「ま、まさか」
琴恵「あのソロは彼女にしか弾けないよ」
奏太郎「他のメンバーにお願いすればいいことだし」
琴恵「……ホントは会いたいんでしょ?」
奏太郎「何を今さら」
琴恵「そういう顔してる」
奏太郎「……………」
琴恵「男の人は初恋の人を忘れられないって聞くけど」
奏太郎「そんなことあるわけないだろ」
琴恵「奥さんに怒られても知らないよ」
奏太郎「まだ独り身だし」
奏太郎の声「さすがに20年経った今でもあの子が夢に出てくるなんて言えなかった。付き合ってた元カノとカラダを重ねた直後のベッドで見た夢にも出てきた、とも」
奏太郎「今言ったこと、忘れてくれ」
琴恵「でも―」
奏太郎「みんな忙しいだろうし、それにもうあの頃みたいに無邪気な中学生じゃないんだから」
琴恵「…………」
保護者が琴恵を呼ぶ。
奏太郎「ほら仕事だよ、琴恵母さん」
琴恵「古内くん!」
奏太郎が去っていく。
目で追う琴恵で―
〇奏太郎の住むアパート・室内(夜)
ひとり暮らしの部屋。
ハンガーにかかったスーツ。
生活感を感じさせすぎる室内。
散らかったデスクの上にある紙切れ。
<リスト一覧>
崎谷唱子先生
荒井真弓
織田 響
早坂美音
瀧 鈴奈
服部優歌
千住琴恵
久石弦一
小室譜沙代
奏太郎、スマホのSNSを見つめる。
『早坂美音』で検索する。
しかし、結果はヒットしない。
奏太郎、ため息をつく。
押し入れの奥、段ボールの中からファイルを取り出す。
中には色褪せた楽譜たち。
ホコリでくすんだ黒いギターケース。
奏太郎が開けると、クラシックギターが長い眠りから目を覚ます。
弦はとっくに色褪せ、チューニングすら合っていない。
奏太郎、ギターを持つ。
だらしない弦をピンと張る。
指と弦が擦れる音。
奏太郎「…………」
目の前に開かれている、とある曲の楽譜。
『序曲』だ。
時折つっかえながら、たどたどしい指先で不協和音を奏でながらも弾いていく。
と、聞こえて来るマンドリンの音色。
〇部室・回想
ソロパートを演奏している美音(15)。
幼い顔立ちに上品な雰囲気。
彼女になぜか後光が差している。
奏太郎の声「男ほど実に単純でバカな生き物はいない。思えばあの頃、いつも彼女が光に包まれて見えていた。純粋な恋だけを知っていたからだろう。たとえば処女、たとえばキレイな言葉遣い、この世には決して汚れなどないと信じていた」
〇駅の前の道・回想(夕)
ポケットサイズの参考書を手にして読みながら歩いている奏太郎(17)、主張のないヨレヨレなリュックに地味な髪型にメガネ姿。
反対側から男女二人乗りの原付が走り去っていく。
ほんの一瞬の出来事。
長い髪を少し茶に染めて垢抜けた女子。
あの美音(17)だ。
奏太郎はあっけにとられる。
奏太郎の声「でも違った。間違っていたのは俺のほうだった」
〇駐輪場・回想(夕)
奥まった物陰で動く影。
男と絡み合っている美音。
奏太郎がこっそり見ている。
相手の男が美音の美しい髪をマンドリンの弦をトレモロするようにかき乱す。
同時に鳴り響くトレモロ。
まるで感情の高鳴りのよう。
眼前で繰り広げられる性行為に奏太郎は終始魅せられている。
奏太郎の声「どす黒い汚れこそが人の一番の魅力であり、今思えば彼女のそういう人間らしい部分に人間らしくないあの時の俺は惚れていたんだとわかった」
(回想終わり)
The Beatles Devil In Her Heart
〇もとのアパートの部屋(夜)
突如、奏太郎の激しく弾いていたギターの弦が切れる。
奏太郎はハッと我に返る。
指から流れ出す赤い血。
奏太郎、じっと指先を見つめて―
<第2楽章 千住琴恵につづく>
このシナリオはフィクションです。
実在する人物・団体・場所とは一切関係ありません。
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